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サーフィンと化学製品#10

デイブ・スウィート その4

マット・ワーショーはEOS(エンサイクロペディア・オブ・サーフィン)でデイブ・スウィートとの思い出を書いている。ワーショーが9歳のときに、スウィートが彼に真新しいショートジョンのウェットスーツをくれたのだと。「ジェイ・アダムスと私はサンタモニカのオリンピックブルバードにあるスウィートのショールームに立っていた。15年ほどで、スウィートはサーフショップ(1957年開店-1974年閉店)を閉めようとしていた。ジェイと私はたまたまタイミングよくそこにいたのだ。デイブが売れ残りの商品をじっと見てまわり、何気なく棚から一番小さい2枚のショーツを手に取り、私たちに1枚ずつ手渡した。初めてのウェットスーツ…」

 前々回(デイブ・スウィート その2)、ダナポイント・マフィアの話に触れたが、マリブ対ダナポイントのような対立軸(地元をより愛する心)がサーファーにあり、同じようにジャーナリストもそういう傾向があるのかもしれない。マット・ワーショーはジェイ・アダムスの同級生で、サンタモニカ出身。そして、『ザ・サーファーズ・ジャーナル』誌のファウンダー、スティーブ・ペズマンはロサンゼルス生まれで、1966年には一時ホビー・サーフボードで働いていて、1992年にダナポイントにジャーナルのオフィスを構えている。このように、ワーショーがスウィートにシンパシーを感じ、ペズマンがアルターにシンパシーを感じても不思議ではない。ポール・ホルムズによるジャーナルの記事「727 Laguna Canyon Road」(TSJ23.1)はアルターとクラークによるウレタンフォーム・ブランクス開発のストーリーだが、ポール・ホルムズはデイブ・スウィートについては1行もふれていない。




写真:Source: URL Dave Sweet Surfboards

参考文献:『Surfer』誌、『Los Angeles Times』紙、EOS(Encyclopedia Of Surfing)、History of Dave Sweet

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