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サーフィンと化学製品#11

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デイブ・スウィート その5

デイブ・スウィートは1928年ワシントン州シアトルで生まれ、11歳のときに家族と共に南カリフォルニアに移り住み、16歳のときにトパンガビーチでサーフィンをはじめる。彼の最初のサーフボードはボブ・シモンズ・シェイプの120ポンド(54kg)のレッドウッド・ボードだった。スウィートの両親がパサディナにあるシモンズの自宅に行き、サーフボードをカスタムオーダーしてくれたのだった。そのときからシモンズとの本格的な交友関係がはじまった。ふたりはしばしばベンチュラやリンコンにサーフトリップした。こうしてシモンズとの交流と彼のシェイプしたサーフボードは、のちのボードビルダーとしてのデイブ・スウィートに大きな影響を与えた。

その2年後、1949年の夏休みに彼はマリブのビーチでバルサ製のサーフボードを作りはじめた。数年間で彼は50本ほどのサーフボードをマリブビーチで作って売っていたという。当時、マット・キブリンとジョー・クイッグたちもすでにマリブビーチで板作りをはじめており、1950年代初期、マリブで作られていたこれらフルハンドシェイプのバルサボードは軽量で浮力があり、「マリブチップ」として知られるようになったが、これはターン用に設計された最初のボードであり、今日のロングボードの元祖である。

1953年、スウィートが南カリフォルニア大学(USC)の経営学の学位を取得したその年、彼はダウ・ケミカル社が開発したばかりのポリウレタンフォームのブロックを初めて目にして、これが新しいサーフボードの材料になることを確信した。彼は、すぐさまハーフサイズのクラムシェル型の金型を作り、これをハリウッドの下宿先のアパートのリビングルームに設置し、ウレタンフォームの発泡実験をはじめ、20本のブランクスを製造したが、風船サイズのエアポケットができてすべて失敗する。1955年になると、スウィートは乗っていた車を売り払ったり、また友人たちから借金をして捻出した12,000ドルを投じてテクニフォーム社(Techniform)という航空宇宙企業が製作したフルサイズの鉄とガラス繊維でできた金型でウレタンフォームの発泡をスタートさせたが、モールドの内部の圧力が高くなりすぎると金型がきしみ、うなり声をあげ、あるときはスチール製のラッチボルトがヒンジからはじき飛ばされ、工場の壁に弾丸のように跳ね返ってきたという。最終的に、スウィートは完全なブランクスを作ることを諦め、厚目のブランクスを製造し、プレーナーでサーフボードに成形し、完成させたのである。




写真:Source: URL Dave Sweet Surfboard

参考文献: EOS(Encyclopedia Of Surfing)、History of Dave Sweet

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