デイブ・スウィート その6
エンサイクロペディア・オブ・サーフィン(EOS)のブログに「デイブ・スウィート:フォームの源泉(DAVE SWEET: FOUNTAINHEAD OF FOAM)」という記事がある。それは、ホビー・アルターの弔文記事を受け取ったマット・ワーショーがアルターの功績を偲ぶとともに、デイブ・スウィートに思いを馳せたエッセイである。そのなかで、ワーショーはウレタンフォームサーフボードのブランクス開発の年表を載せている。
ブランクス開発の年表
1953年:スウィートはポリウレタンのブランクの開発に取り組みはじめる。それからの2年間、彼はDIYで金型を作り(重さ2,000ポンド/約1トンのクラムシェル型のグラスファイバーとスチールのモンスター)、魔法の公式を探して化学薬品の配合を延々とくり返したが、ほぼ失敗の連続で、彼は近くのゴミ箱に失敗した発泡ブランクを放り投げることしかできなかった。
1954年1月:ダナポイントのPCHにホビー・サーフボードがオープン。アルター自身がすべてのシェイプをおこなう。バルサ・サーフボードのみ販売。
1956年夏:スウィートは発泡に関する黄金比をほぼ見つけ、ウレタンフォームのサーフボードを製作した。新しいフォームブランクは完璧ではなかったが、満足のいくものだった。彼はマリブビーチに木製イーゼルを設置し、その上にフォームボードを展示し、販売を開始したが、ビジネスはうまくいかなかった。
1957年: サンタモニカにDave Sweet Surfboardsをオープン。フォーム・コアボードのみの販売を開始する。
1957年12月:化学薬品のセールスマンがアルターにポリウレタン・フォームの塊を渡した。その夜のパーティーで、アルターはポケットから小さなフォーム・ブロックを取りだし、「これだよ、サーフボードの未来がここにある」と宣言した。
1958年初旬:アルターとゴードン・クラークは試行錯誤しながらポリウレタンフォームのブランクス作りに着手する。
1958年6月:ホビー・サーフボードは、それまで扱っていたバルサボードをやめ、グラッシングされたウレタンフォームのサーフボードに切り替えて販売を開始する。

写真:Source: URL Dave Sweet Surfboards
参考文献: EOS(Encyclopedia Of Surfing)、History of Dave Sweet
Comments