ホビー・アルター その2
バルサボードの材料を入手したアルターは、自分の家のガレージで自分用と友だちのためにバルサボードのシェイプをはじめたが、すぐにシェイプの技術は上達し、サーフボード・ビルダーへの道を突き進んでいった。そして1954年、ホビーが21歳のときに彼の父親がダナポイントのPCH沿いに小さな土地を購入し、彼はそこにホビー・サーフボードのファクトリーとショップを構えることになる。
そして、徐々にサーフィンが一般的になりつつあった1950年代後半、アルターはゼネラル・ベニア製造所からバルサ材をわけてもらっていたが、サーフボードの材料である良質のバルサの板が入手困難になりつつあり、危機感を持つようになる。背景には旅客機の内装にバルサ材が使われるようになったり、当時新しいエネルギー源として注目を浴びるようになった高圧の液化天然ガス(それまでは大気に放出していた)を輸送する巨大LNGタンカーのタンクの内張に静電気防止のためにバルサ材が使われるようになり、供給が追いつかなくなった。とくにサーフボードに使われる良質で均一のバルサ材を入手するにはゼネラル・ベニア製造所でさえ困難を極めることになる。こうしてサーフボードビルダーのあいだで熾烈な争奪戦が繰り広げられることに危機感をもったホビーは、模型飛行機用のバルサ材をわけてもらうようになってはいたが、根本的な解決には至らず、バルサ材に変わる新しい素材としてのウレタンフォームのブランクスの開発をホビー・サーフボードのラミネーターのゴードン・クラークとともにめざすこととなる。
そのきっかけを作ったのが、1957年にホビー・サーフボードの取引業者のひとつ、レジン(樹脂)を仕入れていたライヒホールド化学工業のセールスマン、キット・ドリトルだった。彼はタバコの箱ほどの大きさのフォームの塊を持って、ホビーに見せにきたのだ。当時、アメリカでは化学製品の多くはドイツ系の会社が得意としてきた分野だった。日本でもライヒホールド化学工業との合弁会社が昭和35年(1960年)に設立され、現在の大日本インク(印刷用の色見本DICで有名)となっている。
ホビーが見たポリウレタン・フォーム(ウレタン・フォーム)は、1950年以降、断熱材やゴムの代替品など工業用として市場に出回りはじめていたが、世界で最初に実用化に成功したのは1937年、ドイツのIGファルベン社だった。サンドイッチボードの芯材として使われたポリスチレンフォーム(発泡スチロール)とは異なり、ウレタンフォームは加工がしやすく、さらにポリエステル樹脂(エポキシレジン)をラミネートしても、発泡スチロールのように溶解することはなかった。
写真:Source: URL Hobie Surfboards
参考文献:『Hobie: Master of Water, Wind and Waves』 by Paul Holms、『The Surfer’s Journal』、EOS(Encyclopedia Of Surfing)
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