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サーフィンと化学製品#8

デイブ・スウィート その2

それでは、なぜデイブ・スウィートがウレタンフォームの最初の開発者としてアメリカで広く認知されていないのだろうか。また、アルターとクラークが開発に苦慮していた時期に、すでにデイブ・スウィートはウレタンフォームのサーフボードをマリブビーチで売っていたのである。なぜ、アルターはデイブ・スウィートが完成させたウレタンフォームのサーフボードのことを知らなかったのだろうか。ダナポイントとマリブという地理的な要因はあるとしても、当時、数千人ほどの西海岸全体のサーファー人口のなかで、なぜアルターやクラークはマリブでのウレタンフォーム・サーフボードの噂を聞かなかったのだろうか。

後日、アルターがその事実を知っていたかどうか、記録上少なくとも2回その質問を受けていたが、アルターは、スウィートがフォームに取り組んでいたことも、スウィートがフォームボードを販売していたことも知らなかったと明確に否定している。

 これに関するおもしろい記事を見つけた。化学系企業のウェブページのコンテンツのひとつ、「サーフィンの歴史:偉大なるプラスティックレース」というタイトルの記事中で、マット・ワーショーがインタビューを受けている。インタビュアーのデイビス・ジョーンズはそのサーフィンの歴史上の疑問に関してワーショーにこんな質問をしている。

「1950年代には、主要なシェイパーたちのあいだで会話の場はあまりなかったのでしょうか?それともだれかに新しい技術が盗まれるのではないかという恐れがあったのでしょうか?」と訊くと、ワーショーは「スウィートは夏にマリブでフォームボードに乗って友達にも売っていたのに、ホビーとグラビーはそれを知らなかったって?そうなの?」と、それは信じられないことだと答えている。

それでは、なぜデイブ・スウィートがウレタンフォーム・ブランクスの創始者だと名乗りを挙げずに、アルターとの「共同発明者」(主要サーフメディアの見解)という地位に甘んじているのだろうか。ワーショーはEOSで次のように推論している。ひとつはデイブ・スウィートという人格、人柄にあるという。スウィートは優しく争いを好まない性格で、またプライバシーを大切にしていたので、みずからをひのき舞台に押しだそうという気持ちがなかったのではないかと。さらにスウィートは誇り高き男だったが、アメリカ西海岸に君臨していた(原文ではイタリア語のCapo di tutti capi/すべての首長の中の首長)ダナポイント・マフィアと争う気がなく、サーフィン史における自分の正当な地位を公に主張することを拒んだというのだ。

写真:Source: URL Dave Sweet Surfboard

参考文献: 『Surfer』誌、『Los Angeles Times』紙、EOS(Encyclopedia Of Surfing)、History of Dave Sweet、Everchem Specialty Chemicals


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