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サーフィンをはじめたのは鎌倉・由比ヶ浜の海

高校時代、聖ミカエル学園(セント・マイケル・ハイスクール/十二社)では足が速かったので、ラグビー部に入っていた。聖歌隊に入っていたり、体操部にも入っていた。じつは体操をやりたかったのよ。跳び箱を跳んだり、鉄棒をやったりしたかったんだよ。おれは小さくてすばしこかったからね。ある日、体育の記録会があって、足が速いのがばれて、ラグビー部にスカウトされたんだ。バックスのいちばん外れのポジション、ラグビージャージに13番とか11番の番号を付けるウイングというポジションの選手をやらされたんだ。「おまえ、タマを持ったら、そのまま真っすぐゴールに向かって走ってくれ」って、先輩(3年生)に言われて、ラグビーのラの字も知らないのに、やっていたよ。いまだにラグビーのルールも知らないもんね。とにかく、タマを前に投げちゃいけないというぐらいしか、教えてくれなかった。で、いちばん最初に波乗りをやったのは高校2年(1965年)のときの夏休みかな。8月の終わりか9月の頭ぐらいに、友だちと由比ヶ浜(滑川河口)ではじめたんだ。活もまだやりはじめたころか、もしかしてまだはじめていないかもね。たまたまマリブの板を金持ちの息子が持っていて、それを浮輪がわりに海に持ってきていたんで、高校生の仲間みんなで、1本の板で滑川でサーフィンをやったのがはじめなんだよ。おれも遊びでやっていたので、上手く乗れなかったね。その板はボトムが紺色で、デッキが白のインサイドカラーなんだ。もしかしたらその板はマリブじゃなかったかもしれないけど(米沢プラスティックのサーフボード?)、それが重くて長い。おれん家の軒下に10年ぐらいその板があって、長沼の工場に行ったころ(1973年)までその板に乗っていたんだよ。このときはムスタングのオープンにマリブの板を突っ込んで、彼女を乗せて、伊豆にがんがん行っていたね。そのときもまだマリブの板、おれはかっこうサーファーだもの。でも普段は馬に乗っていたよ(その話はまた後で)。



稲村のアウトサイドだね。写真には1982年って、プリントしてある。板はYUが削ったライトニングボルトで、長さは2m70cm前後。おれはフィートはわからないんだよ。レールを持っているのは、ノーリーシュだからなんだ。板を流して、インサイドまで泳いで取りに行くのはかんべんだよね。

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