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シェーンドリアンとの2ショットの話

文:川南正


少し前におれはFacebookのアカウントを開設して、プロフィール写真としてこの写真を載っけたんだけど、おれのとなりにいる少年のことが仲間内で話題になったので、付け加えておきたい。おれは、1987年、イギリス南西部のニューキイで開催されたISAワールドチャンピオンシップに、日本チームの選手のひとりとして行ったんだ。ISAといえば、来年開催される予定の東京オリンピックに加わった新たな種目のひとつ、サーフィンをオリンピック競技のひとつにしようと仕掛けた団体で、正式名称はInternational Surfing Association、国際サーフィン連盟、1964年に第1回世界選手権をオーストラリアで開催したアマチュアのサーフィンを統括する国際スポーツ組織なんだ。

 おれはニーボードクラスの選手としてその2年前におこなわれたカリフォルニア大会(ISAワールドチャンピオンシップは2年に1度開催されている)につづいて、このニューキイの大会のニーボード部門に出場するためにはるばるイギリスに行ったんだけど、そのときに会ったのがシェーン・ドリアン。彼はハワイチュー厶のジュニア代表の一員として来ていて、ツーショットの記念写真がこれ。写真を撮ったのはシェーンの母親で、息子といっしょにイギリスに来ていたんだね。彼女にはいろいろと日本のことを訊かれたよ。大会が開催されたのが8月ということで、NSA(日本サーフィン連盟)からもらった情報で、夏のかっこうで出かけたんだけど、寒いのなんのって、ほんとうにまいったね。さっそく現地で仲良くなったニュージーランドの選手からクイックシルバーのダウンジャケットのユニホームを交換してもらって着ていたよ。



 で、どこの国も選手はみんな若者で、おれみたいに年のいったやつはオフィシャルだけなんだ。それでほぼ毎晩、大会の関係者たちが集う宿舎ちかくのパブに入り浸って彼らとビールを酌み交わしていたんだ。日本人はおれだけで、彼らはおれを日本から来た大会関係者だと思っていたみたい。仲良くなったニュージーランドやアイルランド、スペインの連中から、帰り際にアイルランドとスペインをめぐるサーフトリップに誘われたけど、日本選手団としていちばん年上のおれの単独行動は許されなかったんだ。あたりまえかな?。でもいいチャンスを逃したね。ほかの国の選手や大会関係者は試合が終わるとそれぞれ勝手に帰っていたけどね。

 最近、ニーボードを知らない人も多くなったみたいなんで、2〜3年前の台風18号のときに撮ってもらったおれのライディング写真を載せておくね。このとき着ていたウェットスーツはショートジョンとジャケット。ジャケットの上にショートジョンを重ね着していたんだ。ジャケットを上に着ると波が大きいときは、巻かれたときなどジャケットがまくれ上ってしまうからね。



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