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ロージーズ その1

文:川南 正


1971年に、当時彼女だったロージーという名前を付けた「ロージーズ」というお店をはじめたんだ。彼女は、ドイツ人とイギリス人、日本人の血が混じっていて、明治のはじめごろに貿易商として来日したのがMossという人で、日本髪を結って着物を着た日本女性と結婚して生まれたのがシャーロットという彼女のおばあちゃん。そのシャーロット・モスさんが第2次大戦前にドイツ人の貿易商と結婚して生まれたのが、ロージーのお父さん。ドイツ国籍で、戦争中もずっと日本に住んで商売をしていた。きっと日本は戦争中に日・独・伊の3カ国連合を結んでいたので、ドイツ人は日本に住むことことができたんだろうね。戦後も彼は商売をしていて、日本人女性と結婚してロージー(ローズマリー)が生まれた。当時は、アメリカの軍人と日本女性が結婚する風潮があったので、同じような感覚だったんだろうね。そんな彼女、ロージーとの関係があったから、ドイツの子供服とかヨーロッパの食器などをドイツなどから輸入して「ロージーズ」で売っていた。彼女は日本語と英語とドイツ語ができたから、日本語に訳してもらって貿易をやっていた。お店は材木座の裏手にあり、地の利は良くなかったけど、家賃が安かったのでそこではじめた。

 「ロージーズ」をはじめる前にすでにオニールのウェットスーツをオーダーしておいた。なにしろインターネットもファックスもない時代だから、オーダーのやり取りはエアメールで、商品は船便だから時間がかかったんだ。ウェットスーツはオニールとシースーツ、それからオニールのオーストラリア・バージョン、OEMで作っていたオーストラリアのメーカーからも輸入した。なぜならば、当時はオーストラリアドルが安かったんだよ。でも、いまいち品物は良くなかった。サイズはS、M、Lのスリーサイズ。Sが日本のMサイズで、Mが日本のLサイズ、Lが日本のXLという感じだった。当時、高いウェットスーツは600ドルちかくしたから、1ドル360円の時代だったから、円換算で20万円ちかくした。それでも年に10着ぐらい売れたかな。ウェットスーツは10%から20%の関税をとられた。だから、輸入というのは大変なことなんだけど、オイルショックとかで、あっという間にドルが値下がりしたんだ。360円からら240円〜175円ぐらいまで円高ドル安だったけど、そのころにはおれはウェットスーツを作りはじめていたから、あまり為替には関心がなくなっていた。オニールのウェットスーツは日本では、ほかにザ・サーフとJSPも売りはじめていた。量的にもJSPのほうが多いので、おれはもうこれはダメだなって思いつつも、メインはウェットスーツじゃなくて、ほかのものもたくさん売っていたので、それほど気にはしてなかったんだ。(つづく)




写真はSea Suits社のプリモ・モデル。

先日、片付けをしていたら、昔懐かしいウェットスーツが出てきた。1971年秋、カリフォルニアのO'Neill社とSea Suits社から販売のため輸入していた頃の、当時のSea Suits社のプリモ・モデル(ロングジョン)だ。その当時、日本のサーファーが着るウェットスーツといえば、硬い黒ゴムでできたダイビング用のズボンとジャケット。それに比べ、輸入物のO'Neill社とSea Suits社のウェットスーツはニーパッドが付き、胸とお尻が滑り止めのジャージになっていた。ラバーが柔らかくて、とても着やすかった。

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