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ロージーズ その3

文:川南 正


「ロージーズ」をやっているころ、日本の、とくに湘南のサーファーの流行りはネルシャツにジーパンだった。それも古着で着るのが流行っていたので、リーバイスやリーの古着のジーンズを穿いていた。お店で売る古着のジーンズを手に入れるのに最初のころは、アメリカからウエス、つまりボロ布を輸入していた業者がいたので、その会社の倉庫へ行って、ボロボロのジーパンばかりが入っている袋をキロ単位で買っていた。袋を開けると、まったくダメな袋もあるし、なかから良いコンディションのジーンズが出てくる袋もある。それで、リーバイスのジーンズを1本1,000円から5,000円、メチャクチャ良いものは1万円ぐらいで売っていた。あるとき、袋の中から自分用にリーバイスのジャケット、Gジャンを取っておいたんだけど、背中に丸い穴が空いていたんだよ。あとで想像したんだけど、だれかそのGジャンを着ていた人が拳銃で撃たれて、ついた穴じゃないかなって思ったね。そのジージャンを着てカリフォルニアへ行ったときに、取引のあった古着屋のやつが、「1,500ドルで売ってくれないか」って頼まれたんだけど、「気に入っているから、だめ!」って断ったことがあった。そのリーバイスのGジャンはつい最近まで持っていたんだけど、ヤフーのオークションをチェックしたら、古着のGジャンが5万円から10万円で売っていたので、もうボロボロになったおれのGジャンもヤフオクに出品したら5万円で売れたんだ。問い合わせもすごかったけど、そのGジャンはビンテージだったのかもしれないね。おれはそういうの、あまりわからないから。

 そのカリフォルニアの古着屋とはいろいろ商売をしていて、おれは日本から古着を輸出して彼に売っていたんだ。1950年から1960年代の横須賀のスカジャンや日本のアロハシャツを売っているお店が横浜や横須賀にあって、そこへ行って「余分の在庫がない?」って訊くと、けっこう出てくるんだ、絹でできたアロハシャツとか。それを「ロージーズ」で売ったり、一部をアメリカに輸出していた。アメリカ人向けのでかいサイズのアロハやスカジャンがけっこうたくさんあって、それを輸出していた。綿のアロハは1回洗うとつんつるてんになっちゃうんだよね。スカジャンは「ロージーズ」ではあまり売れないから、アメリカへ持っていって、売ったんだよ。輸出入の貿易をしていたのは1971年から1976年ぐらいのあいだかな。スカジャンは古着じゃなくて新品の在庫品、つまりデッドストックでだれも着てないだけなんだよ。そしたら、ハリウッドの古着屋は大喜びで買ってくれたね。たぶん、段ボール一箱、20着ぐらい入っていた。それにはおもしろい話があって、ハリウッドの古着屋から電話があって、「おまえの持ってきたスカジャン、シカゴ(アメリカのロックバンド)のメンバーのやつが買っていったぞ」って言っていた。おれは500円ぐらいで売ってあげたのに、そいつは1,000ドルぐらいで売っているんだよね。おれは商売っ気がないんだろうね。(つづく)


写真は1973年ごろの稲村ケ崎。いちばん左が弟の川南活で、あとは見知った顔が並ぶ稲村ローカルたち。なんで集まっていたんだろうね。

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