top of page
検索
zerowetsuits

ロージーズ その4

文:川南 正


カリフォルニアTシャツ(以下、カリT)を輸入して2年ぐらいすると、みんな、バックプリントのカリTの人気に気がつきはじめて、横須賀のやつが「直接、カリフォルニアから輸入してもいいですか?」って訊かれたから、「いいよ」って返事してあげたんだ。当時、カリフォルニアにいたジミー(山田)に連絡して、彼にカリTを日本に送ってもらうように頼んであげたんだよ。そしたら、3年目ぐらいになるとジミーたちも、「日本でカリTが売れるぞ!」って、気がづいて、今度はジミーが直接日本でカリTの日本支社を設立して販売をはじめることになったんだ。それでジミーは大儲けしたんだよ。でも、カリTを日本に輸入したのはおれが最初だよね。オニールもほぼ同時かな。『サーファー』誌も洋書店以外ではたぶん日本ではおれが最初だとは思うけどね。それからシープスキンブーツ、最初はカリフォルニアから輸入していたんだけど、オーストラリア製ということがわかったので、それもジミーにゆずってやったよ。ジミーはカリTを止めた後、同じ稲村のお店で看板を付け替えて「ホットバタード」をはじめていて、グッズをオーストラリアから入れていたからね。最初にカリフォルニアから入れていたシープスキンブーツを1年履いたんだけど、すごく良いんだよ。タグを見たらメイド・イン・オーストラリアって書いてあったので、だったら直接オーストラリアから入れればいいと思ったんだ。ジミーはオーストラリアにコネクションがあったので、「おれは輸入しないけど、おまえ、シープスキンブーツを輸入しないか」って持ちかけたら、ジミーが輸入をはじめて日本でも爆発的に流行って、今のように一般の靴屋でも売るようになったんだね(シープスキンブーツの顛末は「貿易障壁」のブログを参照)。



「写真を見ると、たぶん1973年だね。このころのサーフトリップっていうのはこんな感じ。時代を感じるよ。あまり覚えていないけど、行ったのは、たぶん千葉かな」。川南活談

閲覧数:316回0件のコメント

Comments


bottom of page