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稲村ケ崎の切り通し

文:川南正


当初、おれのおやじの家は市谷にあったんだけど、戦争中に空襲にあって焼け出されたんだ。それで、戦後、昭和20年か21年かな、おやじはサラリーマンだったから、東京に通える範囲内で家を探したんだ。で、東京まで一本で通勤できる横須賀線沿線の鎌倉・材木座に引っ越した。それから、いまの実家がある稲村ケ崎の家は弟の活が生まれた後に家族で移り住んだんだ。この写真は、そのころにおやじが撮ったもので、昭和25、26年ごろだと思う。国道134号線は横須賀市から大磯町までつながっていて、資料によると1920年(大正9年)に鎌倉三崎線および片瀬鎌倉線の県道としてスタートしたらしい。その後、1930年に「湘南海岸道路」として大磯町までの延長工事がはじまり、横須賀と厚木を結ぶ軍用道路の色彩も帯びてくるようになったんだね。

 この写真にあるように、戦後は江ノ島から鎌倉のあいだに歩道を付けた2車線の道路として整備され、海岸沿いを走る国道134号線は「湘南海岸ドライブウェイ」と名づけられた観光道路として売り出されたんだね。この前のブログで書いた鎌倉水族館などの坂の下一帯もレジャー的な基地になりそうな感じで開発されていて、ホテルとかレストランもできて、鎌倉市が観光に力を入れていたことがわかる。で、「湘南海岸ドライブウェイ」が整備された後、国道134号線は一部有料道路として、いまの七里ヶ浜の駐車場付近に料金所ができたんだ。おれが中学に上がる昭和30、31年ごろだね。


国道134号線は「湘南海岸ドライブウェイ」と呼ばれ、海岸線を走る観光道路として整備された。工事中の湘南海岸ドライブウェイ、走る車が時代を感じる

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