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鎌倉水族館

文:川南正


鎌倉の水族館ができたのは、たぶん昭和27年か28年だと思う。稲村ケ崎の歩道を付けた道路工事の整備にともない、坂の下の海を埋め立てた場所、いま市営プールがあるところに水族館ができたんだね。おれが5、6歳のときだと思うんだけど、おやじに連れられて何回か行った思い出がある。この写真はそのときに撮った写真なんだ。この水族館のわきに、あとから遊園地もできた。お猿の電車とかあって、今風のサーカス団みたいな仮設の施設で、その遊園地はたぶん一時的なものだったのかもしれない。ほかにも動物がいたような気がするな、お猿の電車は、乗ったからすごくおぼえている。水族館の中に入ると大きな水槽が一個あったのかな。まわりにガラスの水槽がいくつかあって、そこにサザエとか伊勢エビとか、タツノオトシゴとかが入っていた。タツノオトシゴは、おれが小さいころは稲村の海にもいたよ。それから、フグとかゴンズイとか、ろくなものはいなかったね。水族館の魚は、回遊魚じゃないような、地元の漁師が獲ってくるそのへんにいるような魚ばかりだったね。だって、海に行くと同じ魚がいるんだよ。サメは、水槽の中に手を突っ込んでも咬まれないようなネムリブカ、トチザメだった。そういうのがいっぱいいて、よくいじくってたよ。建物の外の入り口付近にも展示があって、入場しなくても見られるようになっていたね。大きさは体育館の半分ぐらいの広さしかなくて、まあ、ろくでもない水族館だったね。おれが、小学校へ上がる前に水族館ができて、小学校の4年か5年のときにはもうすでに終わっていたよ。建物だけは残っていて、10年以上ほったらかしになっていたんじゃない。で、おれが高校3年のときだと思うんだけど、田沼進三、長沼一仁、阿部博とジミー山田の4人で、キティというサーフボード屋をここではじめたんだよ。どうも2、3年ぐらいやったらしい。おれが高3の夏前によく遊びに行っていたんだよ、学校の帰りがけに。学校に行くときは江ノ電で行って、帰りは江ノ電バスで帰るんだけど、水族館のバス停(当時は市民プール前というバス停)で降りてストップバイ。よくここで寄り道をしてキティで遊んで、それから歩いて家まで帰っていったんだ。工場は、手前にある2階建ての建物の1階部分を使ってサーフボードを作っていたんだけど、水槽がある奥のスペースは使っていなかったけど、夜な夜なブラックライトとかネオンを使っていろんなやつらが集まってふざけていたんだよ、ディスコとか言って。あいつら、全員そろっておかしかったからね。おれはそこには参加していなかった。で、けっきょく、水族館が火事になって焼失してしまったんだよね。


江ノ電バスと鎌倉水族館

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