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ミッチー

その1

文:川南正


ミッチーと知りあったのは40年ぐらい前、1982〜83年ごろかな。彼はアメリカ生まれの日系3世。「アメリカでウェットスーツを売りたい」って、ミッチーのお父さん(ハギオさん・日系2世)から電話があったことがきっかけなんだ。その当時やっていた「RUSH」ウェットスーツの広告を見て、お父さんが会社に直接電話をかけてきたんだよ、「ディストリビューターをやりたい」って。おれは貿易の仕事をやっていたことがあるから、現地を見ればなんとかなるなって思って、すぐに飛行機に乗ってサンディエゴに話をしにいったんだ。お父さんはアメリカ生まれのアメリカ人(小柄な日本人)、日本語をしゃべれるんで、お父さんをあいだにはさんで3人で話をしたんだ。それで彼の家にも泊めてもらったし、いっしょに飯を食ったりいろいろのことをしながら、どうやってビジネスを進めていこうかって、1週間ぐらいステイしたかな。最初のうちはウェットスーツを輸入するっていう話だったのが、話を重ねているうちに、ウェットスーツの工場を造るっていうことに話は発展したんだよ。で、工場を造るあいだは日本からウェットスーツを送って、それをミッチーのサーフショップで売りつつ、日本から機材と職人を派遣しようっていうことになったんだ。

 ミッチーのおじいちゃんとおばあちゃんは太平洋戦争以前にカリフォルニアに移住して農業をしていた。でも戦争のときに、カリフォルニアに住む日本人は全員強制収容されて、彼ら一家は農地も取りあげられてしまい、百姓をやめてしまったらしい。で、彼のお父さんはアメリカ兵として出兵したんだけど、戦後、英語も日本語もできるということで通訳として来日したんだ。彼の一家は九州の熊本出身で、語尾が「〜ですたい」とか、熊本弁みたいなしゃべり方をするんだよ。どうやらお父さんは熊本の親戚に会いにいったんだね。そのときに見初めた女性と結婚してカリフォルニアに連れて帰った。それで生まれたのがミッチーなんだ。正式には「みちお」って名前なんだけど、みんなに「ミッチー」って呼ばれていたね。お父さんもお母さんも日本語をしゃべるから、とくにお母さんは日本で育っている人だから、家での会話は日本語なんだよ。だから、ミッチーも日本語をときどきしゃべるけど、聞くのは問題ないんだけど、しゃべる日本語はメチャクチャなんだ。だからおれは日本語でしゃべるんだけど、彼は英語で返してくるんだよ。

ミッチーのお父さんは植木職人で、メキシカンや白人など10人以上も使ってガーデナーの会社をやっていた。朝、彼の家に行くと怪しげな白人ともメキシカンともつかないような男たちがうろうろしているんだよ。カリフォルニアは雨が降らないし、植木屋をやるのには「すごく楽なんだ」って。水をやらなければ、木はむやみやたらに育たないし、お父さんは日本庭園なんか造ったことはないけど農家育ち、日本人だからっていうので「日本庭園を造ってほしい」って頼まれて、それっぽく造るらしいだけどね。どうも、それが大はやりで彼のお父さんの会社は繁盛していたみたいよ。

 ミッチーはサーフィンが好きで、高校生のときにアルバイトがてらにサーフショップをはじめたんだよ。ミッチーとおれは同い年で、おれが35歳ぐらいで初めて彼とに会ったとき、彼は家3軒とレストランを1軒持っていて、資産も2億円以上持っていたんじゃないかな。サーフショップで儲けたんだよね。彼はめったに人のことを信用しないし、銀行のことも信用していないし、とくに白人のことは大嫌いなんだよ、昔イジメられたんじゃないかな。なんでもキャッシュで売るんだ。レジンの1リッターだろうが、フォームの1本だろうが、刷毛1本だろうが、なんでも売るんだ。ミッチーはカリフォルニアでいちばんフォームを消化している男じゃないかな。サーフショップだって、3畳一間みたいな小さなサーフショップだよ。みんな、金がないからミッチーを頼って寄ってくるし、信頼のあるフォームを売っていたから、サーフショップはどんどん広がっていっちゃった。(つづく)



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