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プロフィール

登録日: 2020年9月1日

記事 (170)

2026年7月28日3
ゼロウエットスーツとジェリー・ロペスその3 ジェリー・ロペスの父親
2006年 ゼロウエットスーツの広告 文:森下茂男  この1枚の写真はゼロウエットスーツの広告として使われた。撮影したのは佐藤弘志こと伝次郎、場所はインドネシアのGランドだ。元の写真はカラーだったが、伝次郎はモノクロームにして原稿を送ってきた。私はこのモノクロ写真を見て、日系4世としてのジェリー・ロペスではなく、父方の面影を感じた。  さてジェリー・ロペスの父親だが、父方の祖父はスペイン人、祖母がドイツ人、父親はニューヨークで生まれたスパニッシュ・ジャーマンというコケイジョン(白人系)だ。父親は、第2次世界大戦中はヨーロッパ戦線に従軍し、戦争が終わり帰国後、軍隊の奨学生制度でハワイ大学に入学したという。そこで、同じくハワイ大学の学生だったロペスの母親と出会い、恋に落ち、結婚することになる。  ロペスの母親は、板倉という新潟出身の移民の日系3世で、一族はカウアイ島のパカラに住んでいた。母親は板倉家の長女として生まれたが、女性の高学歴を嫌う古い日本の考え方もあり、母親がハワイ大学で学ぶことさえ祖父に反対されていた。また当時、ハワイの日本人移民は同胞の強い絆で結ばれており、結婚は日系人...

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2026年7月11日3
ゼロウエットスーツとジェリー・ロペスその2 ロペスとパイプラインハウス
Photo by S. Morishita 文:森下茂男 1970年代後半、ショートボード革命によって名声を築き上げていったジェリー・ロペスは夢の実現に動いた。その夢とは、彼をサーファーとして育ててくれたパイプラインのポイントの目の前に家を持つことだった。ロペスの夢を実現するアイデアは、ポール・ピーターソンによってもたらされた。  1960年代、ロペスと時(とき)を同じくして波乗りをはじめたピーターソンは、1971年にフランスでロペスと再会し、親交を深めていた。ピーターソンは、まさにロペスが望む場所に家を持っていた。彼は、エフカイ・ビーチのオーシャン・フロントに所有する古くなった家を取り壊し、新たに共同で家を建てないかと、ロペスに提案したのであった。  1980年、サーファーたちの間でパイプライン・ハウスと呼ばれるその家が完成した。パイプラインを一望にすることができるその家は高い木の塀で回りを囲われており、外からはなかの様子を伺いしることができない。1階はキッチンとウッド・フローリングの広いリビングルームがあり、庭へと続く階段状の広いウッドデッキのベランダがついている。コ...

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2026年6月17日1
ゼロウエットスーツとジェリー・ロペス
その1 ゼロウエットスーツの最初のライダーはジェリー・ロペスだった 文:森下茂男 川南正がゼロカンパニーを立ち上げたのは1988年。本人は当時を「俺が40歳のとき」と振り返る。 創業したその年、サーフボードメーカーYUから「ジェリー・ロペスがウエットスーツのスポンサーを探している」という連絡が入った。川南はすぐにウエットスーツの提供を快諾。こうして、ジェリー・ロペスはゼロウエットスーツ最初のライダーとなった。 翌1989年には、ジェリー・ロペスの誘いで佐藤伝次郎がインドネシアのGランドを訪れ、ゼロカンパニーの広告撮影を行った。 その後、『NALU』に掲載されたゼロウエットスーツの見開き広告が、この写真である。ここではジェリー・ロペスだけをトリミングしているが、オリジナル写真には、オアフ島ノースショアを代表するサーファーたちの姿も写っている。ゼロウエットスーツとジェリー・ロペス、その始まりを記録した一枚だ。 Photo by DENJIRO

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