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稲村(稲村ヶ崎)サーフポイント消滅の危機 その3

文:川南 正

 

134号線、稲村ヶ崎の道路陥没は過去にもあった。

1950年中頃、稲村ヶ崎の西側、姥ヶ谷にかかる橋が崩落し、トラックが下に落ちるという事故だった。

 

その時も、橋桁の基礎が砂の上にあり、軟弱な地盤の上に架けていた橋が落ちたのだ。太平洋戦争当時、砂浜の上に慌てて造った道路、134号線だから、こうなることは、当時から判っていた話だろう。それが今や国道134号線は生活や観光の目玉として大切なものになっている。

 

現在の134号線を見渡すと、大磯から江の島までは4車線道路となって、過去の渋滞が嘘のように走りやすい道路となった。それが突然、腰越から東への道路は昔の2車線道路へとなり、工事が中断したようになっていて、だれしもこの先の道路拡張計画があるのだろうと考える。

 

その先の道路拡張計画はだれも知らない、不思議だ!また、不思議なのが七里ガ浜の道路拡張工事ででき上がった歩道である。まわりと比べてやけに広い歩道。それが、今や外国人のための観光場所と化している。しかし、観光客誘致の目的のために、あの広い歩道を作ったとは思えない。

 

ちょっと目を細めて考えてみると、江の島の東浜で途絶えた4車線道路がこの広い歩道を利用して七里ヶ浜駐車場まで簡単に4車線道路が作れるような気がしてならない。そこから稲村ケ崎までか?

 

しかし、稲村ヶ崎は歴史的な場所で、道路の拡張は難しそうにみえるが、134号線を守るための護岸工事となると、稲村ヶ崎の住民は承諾せざるをえないことになる。

ここが付け目だ!

 

あれ〜?そういえば、姥ヶ谷にあったはずの石碑、通称”げんこつ”がいつの間にかなくなっている。だれがどうして、あの石碑を持ち去ったのか?


稲村ヶ崎の道路崩落現場


鎌高前駅そばの道路工事で、なぜかワイドに広がった歩道

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