ゼロウエットスーツとジェリー・ロペスその2 ロペスとパイプラインハウス
- zerowetsuits
- 7月11日
- 読了時間: 3分

文:森下茂男
1970年代後半、ショートボード革命によって名声を築き上げていったジェリー・ロペスは夢の実現に動いた。その夢とは、彼をサーファーとして育ててくれたパイプラインのポイントの目の前に家を持つことだった。ロペスの夢を実現するアイデアは、ポール・ピーターソンによってもたらされた。
1960年代、ロペスと時(とき)を同じくして波乗りをはじめたピーターソンは、1971年にフランスでロペスと再会し、親交を深めていた。ピーターソンは、まさにロペスが望む場所に家を持っていた。彼は、エフカイ・ビーチのオーシャン・フロントに所有する古くなった家を取り壊し、新たに共同で家を建てないかと、ロペスに提案したのであった。
1980年、サーファーたちの間でパイプライン・ハウスと呼ばれるその家が完成した。パイプラインを一望にすることができるその家は高い木の塀で回りを囲われており、外からはなかの様子を伺いしることができない。1階はキッチンとウッド・フローリングの広いリビングルームがあり、庭へと続く階段状の広いウッドデッキのベランダがついている。コンクリートで固められた前庭には、南の島の太陽を遮る背の高いヤシの木が数本、ビーチとの境に植えられ、椅子と一体になった長方形の木製ベンチが2セットと、海への出入り口の脇にシャワーが完備されている。2階と3階には、合計5つの部屋があり、そのどの部屋からも正面にパイプラインが臨めるように設計されていた。
「パイプライン・ハウスを建てたのが1980年のこと。それまでは、その裏に住んでいたんだ。ノースショアにいるのは冬の間だけで、普段はタウンに住んでいた。ぼくはシティボーイなんだよ。昔、ノースショアはジャック・サザーランドの息子以外、誰も住んじゃいなかったのさ。カリフォルニアから来たジェフ・ハックマンがノースショアに住みはじめたのが1965年なんだ」。
こうして、1983年、この家の共同所有者ポール・ピーターソン、愛称”コーチ”とともにジェリー・ロペスは、ハワイの第一線のプロ・サーファーたちを集めて、「ハワイアン・プロ・ティー厶」を作った。この「ハワイアン・プロ・ティー厶」は、マイケル・ホー、デレック・ホー、バジー・カーボックス、ハンス・へデマン、バテンス・カラヒオカラニらと、若手ロニー・バーンズ、そして1976年、1977年のパイプ・マスター、ローリー・ラッセルというハワイを代表するサーファーたちで構成されていた。
それまでハワイのサーファーのシンボルとして存在していたジェリー・ロペスは、彼を慕って集まる彼らサーファーたちに自分の波乗り哲学を伝授しはじめた。ロペスを育ててくれたパイプラインを一望にするパイプライン・ハウスを拠点に、今度は彼自身がハワイの若いサーファーたちを育てはじめたのであった。それは、まるでパイプラインに恩返しをするかのようであった。






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