ゼロウエットスーツとジェリー・ロペスその3 ジェリー・ロペスの父親
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文:森下茂男
この1枚の写真はゼロウエットスーツの広告として使われた。撮影したのは佐藤弘志こと伝次郎、場所はインドネシアのGランドだ。元の写真はカラーだったが、伝次郎はモノクロームにして原稿を送ってきた。私はこのモノクロ写真を見て、日系4世としてのジェリー・ロペスではなく、父方の面影を感じた。
さてジェリー・ロペスの父親だが、父方の祖父はスペイン人、祖母がドイツ人、父親はニューヨークで生まれたスパニッシュ・ジャーマンというコケイジョン(白人系)だ。父親は、第2次世界大戦中はヨーロッパ戦線に従軍し、戦争が終わり帰国後、軍隊の奨学生制度でハワイ大学に入学したという。そこで、同じくハワイ大学の学生だったロペスの母親と出会い、恋に落ち、結婚することになる。
ロペスの母親は、板倉という新潟出身の移民の日系3世で、一族はカウアイ島のパカラに住んでいた。母親は板倉家の長女として生まれたが、女性の高学歴を嫌う古い日本の考え方もあり、母親がハワイ大学で学ぶことさえ祖父に反対されていた。また当時、ハワイの日本人移民は同胞の強い絆で結ばれており、結婚は日系人の間で行われていたので、日本人以外の男性、特に白人の男性との結婚に、板倉家の家長であった祖父は強く反対したという。当時、ハワイの日系人社会でも家長制度が根づいており、家長の意見が絶対であった。
そのため、ロペスの母親は、1年以上祖父に結婚の報告さえできなかったが、彼女の兄弟たちやいとこたちが祖父に手紙を書いたり、直接会って彼らの結婚を承諾するように説得したという。祖父が結婚に反対する心情には、ほんの数年前まで祖国日本がアメリカと戦っていたという背景があり、また、日本とアメリカの間で板挟みになった日系移民としての苦しみを味わっていた祖父の苦悩があった。実際、ロペスの叔父たちは、日系人だけの兵隊で組織されたアメリカ陸軍第422連隊の一員としてヨーロッパ戦線で戦ってきた。その戦争が終結して3年後の1948年、ジェリー・ロペスが生まれた。

ジェリー・ロペスは遠い昔を回顧する。「おじいちゃんは日系2世で、カウアイ島のプランテーションで働いていた日系人のなかではビッグ・ファミリーだった。戦後すぐにハワイに来た兵隊たちが地元の女の子と結婚して子どもができるとすぐに別れてしまうということが社会問題になっていて、おじいちゃんもそういうこともあって両親の結婚に反対したんだろうね。故郷の日本の話? おじいちゃんの口から一度も日本のことを聞いたことはなかったね。ときどき、日本からおじいちゃんの大好物のイクラが送られてきたよ」
ジェリー・ロペスは、母方の祖父の家、カウアイ島のパカラで幼少時代を過ごし、その後、オアフ島に移り、プナホ・ハイスクールに入学する。得意な科目は数学と歴史。チェス部にも所属し、無遅刻無欠席、いわゆる秀才タイプの高校生だった。プナホといえば、ハワイでも昔から有数の進学校で、イヒラニ・ハイスクールと並ぶ名門の高等学校である。プナホ・ハイスクールを卒業したロペスは、カリフォルニアのカレッジで建築を学び、建築設計士の道を目指すが、それがシェイパーとしてのロペスの名を高めるうえで多いに役に立った。





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